5、する、なる、なるようにする

する、なる、なるようにする――「月給二倍論」によせて

【解題】これは私の原稿ではない。文末に書かれているように、昭和34年6月の自民党宏池会機関誌「進路」に、田村昭雄が書いた原稿である。私が国会図書館に出かけて、コピーを取ってきて、バインダーの穴などで見えなかったところを補って、ワープロに起こしてもらったものである。総選挙があったが、みんな願望とか、ならないことばかりで、これでは財政赤字を増やして、若者のスネを齧ることしか思いつかないだろう。(2012.12.21糸乘)

池田勇人氏が去る三月「私の月給二倍論」を発表して以来、これをめぐって、各界

の意見がジャーナリズムをにぎわしている。労働者、サラリーマンの素朴な常識的

な反応から、産業人企業家の関心、さらに経済評論家や政治評論家に加えて、一部

の経済学者の、ややつきこんだ理論的批判も見られる。しかし、いままでのところ、

真向からの反対論はないようだが、さりとて深い理解にもとづく積極的賛成論もな

くはないけれどもあまり強くもないし、普及してもいないようである。

政治評論家たちが、「あれは池田の政治的成長を示すものだ、“麦めしをくえ”など

といった頃の純経済論から、民主主義的政治家への成長があの発言をさせたのだ」

というような批判をするのは、一応止むをえぬけれど、いま一流(?)の経済評論

家と目されて、新聞、雑誌、ラジオ、テレビに引っぱりだこの人々の座談会などの

発言でも、「月給二倍論」の経済理論的基礎に対する理解が、少なくともその発言内

容から判断される限り、まことに不十分なように思われるのは残念である。これは

日本人の経済学的レベルの低さを物語るものであり、これが一方では政策のマンネ

リズムとひいては貧困の一因であり、他方では「総評」などの非現実的・非建設的理                                                                                                                         論と「闘争」指導のもとになっているように思われる。

「総評」やその思想的指導者たちが、相変わらず19世紀的マルクス主義の呪文にし

ばられて、後向きにしか経済を理解しえないのは、日本経済の成長過程と戦前の思

想対策などの影響ないし反動として、社会学的、思想史的に理解しうるとしても、

もうそろそろ目をさましてもよい頃である。ところが、後向きな考え方というか、今

日の日本経済を敗戦後10年間と本質的に同じように考えたり、それほどでないとし

ても、経済発展の動向を金本位時代に説かれた原理そのままで理解し、政策を決定

しようとする政治家、官僚、金融家、産業人が圧倒的に多いことはむしろ驚くべき

ことである。

 「社会党は現実はなれした無責任なことをいっている。社会党に政権は渡せぬ」と

は自民党はもちろん、保守的傾向の人々の常に口にするところで、その限りにおい

て正しいが、しからば、自民党をはじめ今日の政治経済の運営の一端を荷なってい

る人々は、はたして十分に日本経済を発展させ、成長させているのかどうか。今日

の日本経済が西ドイツと並んで自由主義陣営内で一番旺盛なエネルギーを発揮し、

「驚異的」な発展をとげてきていることは事実だが、それははたして自民党とか岸内

閣の功績に帰すべきものであろうか。もちろん社会秩序を維持し、通貨価値を維持

して、日本国民が努力し、経営する場を守ってきた。革命さわぎとか、内乱とかを

抑えてきた功績は認めなければならぬが、さらに進んで日本国民のこの強いバイタ

リティを育て伸ばす賢明な政策をとってきたかどうか、またとりつつあるかどうか。

総評や社会党(共産党はいわずもがな)が現実ばなれした、公式論で日本経済の成

長と国民生活の向上をさまたげていることに対しては自民党や財界、金融界にも、

一半の貢任がありはしないか。つまり、日本経済の実態と経済の理法、それに国民

的理想ないし要請をはっきり認識し、標榜して、有効適切な政策を行い、良識ある

国民をして勇躍して新建設活動に精進させる工夫と努力に欠けでいることが、外国

―自由主義陣営諸国はもとより共産陣営をもふくめて―の識者から見て、いかにも

ふしぎな、もどかしい(自由陣営側)利用すべき混乱と低迷の好機(共産膵営)の日本

の現状の一因だといったら間違いだろうか。

日本経済は、昭和31年を転機としていちじるしい変化と発展をとげているのであ

る。その特質を要約すると3点に帰する。(1)日本経済は底が浅いとか、資本の蓄

積が少ないというのが定説であり、先進諸国にくらべて資本の総蓄積額が小さいこ

とは事実だが、昭和31年を境に設備投資がそれまでの数年問の年平均の二倍、実額

にして1兆5~6千億円に達するようになった。この設備投資額はイタリアをしの

ぎ、イギリス、フランスに匹敵し、西ドイツに及ばぬだけである。いわゆる中進国

日本はその経済成長の基本エネルギーにおいて先進国に追いつき追いこそうとして

いる。(2)このことは、日本が経済成長の大きな可能性をもつにいたったことを物

語っている。設備投資額は、ほぼ1年おくれでそれに見合う生産力となるからだ。即

ち、インフレを起こすことなしに国民総生産を増大させる可能性がおおきくなって

いる。国民総生産に対する民間設備投資の割合を見ると、1957年で、アメリカは6.3%、フランス、イギリスが8.3%、西ドイツ11.5%、イタリア13.4%に対し、日本は

16.7%で先進工業国のどれより断然大きい。これはインフレの心配がなく、デフレ

的基調の経済であることを示すものだ。(3)このように国内生産力が大きくなって

おり、国際収支は昭和33年度は実質5億7千8百万ドルにも達しているのであるか

ら、国内、国際の均衡を破らずに国民捻生産を増大しうる余地は2兆円前後に達す

るはずである。したがって国民経済の成長率はいま10%から20%近い実力をもって

いるのに、これを6・5%とかそれ以下に抑えようとしているのである。のびる経済力

を無用不当に抑えているのがいまの日本連済の姿である。

ところで、池田氏の月給二倍論は実は日本経済のこの3つの特徴に着眼して、国

民総生産を合理的な内外均衡の範囲内で、できるだけ伸ばす政策をとって、月給―

一般に所得―をここ数年間に二倍にも三倍にもしようというのである。月給を「二倍

にする」ときいて、ワッと喝采したサラリーマン、そんなことをしたら大変だ、企業

採算が成り立たぬとあわてた経営者はやがて、二倍にするのでなくて、なるような

政策をとれというのだと説明されて、なァんだつまらんとがっかりしたり、それな

ら当たり前のことだとほっとした。しかし、月給を二倍にも三倍にもすることは必

要だし、そうなるような政策をとることこそいまの政治の最大任務なのである。日

本経済はインフレにもならず、国際収支の赤字も招かずに国民総生産をさしむき年

10%以上ものはしうる条件をそなえていることを認識して、伸びる力を伸ばして月

給が2~3倍になるようにする改発をとることが大切なのである。そうすることに

よって小児病的労働運動や19世記的イデオロギィをとりのけることができるであろ

う。まずこの日本経済の実態と経済理法の明かな把握が要請されるゆえんである。

(34.5.15)

宏池会機関誌「進路」巻頭言 田村敏雄(昭和34年6月)