1、オチコボレとは

「オチコボレとして生きていこう」と、思い定めたらずいぶんいい気分になった。この気分でいると、リスクはなくなる。世の仕組みのルールに合わせなくとも、世間のモラルをひどく裏切らないかぎり、自由に生きていけばいい。
「オチコボレとして生きる」とは、自分のモチベーションを、常に行動の基準として生きればよいことになる。
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2、オチコボレの定義

新しい年は、オチコボレが元気を取り戻す年      071214 どこテレ新年用

オチコボレでも人もうけはできる

 

1、オチコボレの定義

*レールに乗れていないひとのこと。レールがないので自分

で歩かねばならん

*同じレールの仲間はいない。仲間がほしければ自分でつくる。従って、誰かが運んでくれるとか、後押してくれることはない

 

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4 私のオチコボレ人生のスタート

“オチコボレでやっていくぞ”という居直りの節目

・すべて、偶然に道が開けていく

・1962~65頃 倒産会社の再建に関わる。行くところのない人間だけ残って、かな

りのスピードで再建でき、以前より楽しい職場になった。結局人間

は「ダメ人間と見られていても、その気になったら3~4倍の働きを

することなど簡単だ」という体験。 続きを読む «4 私のオチコボレ人生のスタート»

5、日本オチコボレ還暦論(0906)

日本オチコボレ還暦論(60年周期)                090629

〇アメリカは「セールスマンの死」時代の再来

このところ、国がまるごと落ちこぼれてしまい、国民みんなが大災難に遭うという時代のことが気になっている。日本という国は、この120年の間に、二度落ちこぼれた。それは明治維新と昭和の敗戦である。そして今が三度目のような気がする。

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8、オチコボレでも通る国家試験

1988年頃に出会った、レギュラー社会のレール人間思考が出来ないヤツは、国家試験は通らないという話である。

これは実に楽しいオチコボレ体験だ。「技術士」という国家試験がある。これはもともと理系の学部卒業者の資格で、文系は受験できないことになっていた。ところが何となく、文系でも受けられるようになったという話を聞いて、2年目に書類を取り寄せ、受けてみることにした。この試験はかなり難しいということになっていて、合格率は10%あまりで、私の事務所内でも何回も受けている者がいた。 続きを読む «8、オチコボレでも通る国家試験»

9、オチコボレ経営者がすすめた“超弱気経営” 

オチコボレが経営する場合の会社は、自分に自信がないので楽にやりたいと思う。

あるいは、自分が出来ないことや、自分がしんどいと思うようなことは、従業員に

“やれ”といえないので「営業活動をすることが、楽なようにするには、どうした

らいいか」を考えざるをえなかった。これは1978年ごろからやっていた方法である。

・とにかく、自分で良いと思えることはなんでもやる。 続きを読む «9、オチコボレ経営者がすすめた“超弱気経営” »

10、オチコボレ自分史 話の展開

オチコボレ自分史 話の展開               110503

 

<いいたいこと> 孫が、うまく行かないと思った時に、一寸思い出して読んでみて、「おじいちゃんもオチコボレだったんだ。それでもマアマア仕事が出来たらしい」と、安心するネタになること。すべて実体験と自分で考えたことのみで綴る。

 

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