8、オチコボレでも通る国家試験

1988年頃に出会った、レギュラー社会のレール人間思考が出来ないヤツは、国家試験は通らないという話である。

これは実に楽しいオチコボレ体験だ。「技術士」という国家試験がある。これはもともと理系の学部卒業者の資格で、文系は受験できないことになっていた。ところが何となく、文系でも受けられるようになったという話を聞いて、2年目に書類を取り寄せ、受けてみることにした。この試験はかなり難しいということになっていて、合格率は10%あまりで、私の事務所内でも何回も受けている者がいた。

ある時私の仕事机の近くに、日頃からよく一緒に仕事をしている若い衆が、私を冷やかしに4~5人集まってきた。

「糸乘さん技術士受けるんですか」

「うん、受けてみる」

「糸乘さんは絶対に通らない。受けてもムダですよ」

「そうだ、そうだ、そうだ」「絶対通らない、通らない」とみんなが声をそろえた。

「えらい厳しいことを言うなあ。それにしても“絶対”とは何だ絶対とは。オマエラもちょっと言いすぎだぞ」

「いや、言い過ぎじゃない、二つの根拠がある」

「えらいはっきり言うなあ。すまんが教えてくれ」

「一つはね、まず“糸乘さんの字は読めない”ことですよ。もう一つはね、“糸乘さんはね、試験というモノの本質”を知らないからですよ

「ひとつは分かった。字を丁寧に書くことにする。ところでその試験の本質って何だ。教えてくれ」字が読めないという件に関しては、全く脱帽であったが、もう一つは納得できないので、聞いた。

「それはね、試験を出した側を満足させる回答を書くことなんですよ。ところがあなたは、自分の考えを書くじゃないですか。それで通るはずがない」

「そうだ、そうだ、いつも自分の思っていることを書いて、人のいうとおりにはなかなかせん」と囃す。

「なるほど、試験の本質ということはよく分かった。だけど今更受験勉強をして、問題や解答を考えても、ボクはそれに弱いから無理だ。今までの糸乘スタイルで行く。どうもありがとう」

「絶対にムダですよ」と、なおダメを押した。

試験では、読める字を書かねばならないので、時間がギリギリだった。この技術士試験のいいところは、「あなたはどんな技術を持っているのですか」というテーマが、最大の比重を持っていることである。

私は、都市再開発事業を進める中での、地権者の権利調整の枠組み、意識の整理の仕方などの作業手順や整理作業について、自分のやってきたことを書いた。私としてはマネジメント技術、コーディネート技術というつもりであった。

筆記試験は通ったと言うことで、面接の日時の連絡があった。「通ったみたいだよ」と悪ガキ連中に言うと、「おかしいなあ、試験官がまちがえたんですよ」といった。また、同僚が「糸乘さんでも通る国家試験がある、ということはいいことだなあ」といって喜んでくれた(ひょっとすると馬鹿にしているようでもあるが)。

口頭試問に行ったら、三人の人が座っていて、その一人が「えらいソフトな技術をやっておられるんですね」といった。私は「再開発をすすめる時に、いろいろ悩みましてね」といいながら少し説明をした。平成元年(1989)のことである。

この資格は、一級建築士よりランクが高いように言われているけど、それほど商売に役立つものではない。建設コンサルタントの事務所をやる時にいるらしいが。しかし一応名刺に書けるので重宝した。九州で仕事をする時、役所に名刺を持っていったら、「技術士なんですか。糸乘さんは経済学部ですよね」といわれた。「文系でも受けていいことになって2年目だったんですよ。うっかり通ったのかな」と私はいっていた。後で聞いたところでは、県庁内に技術士(化学系?)は、一人しかいなかったらしい。

「糸乘さんは絶対通らない。試験というモノの本質を知らない」といってくれた若い衆は、私のことをよく理解してくれていた。うれしい想い出である。

 

1988年頃に出会った、レギュラー社会のレール人間思考が出来ないヤツは、国家試験は通らないという話である。

これは実に楽しいオチコボレ体験だ。「技術士」という国家試験がある。これはもともと理系の学部卒業者の資格で、文系は受験できないことになっていた。ところが何となく、文系でも受けられるようになったという話を聞いて、2年目に書類を取り寄せ、受けてみることにした。この試験はかなり難しいということになっていて、合格率は10%あまりで、私の事務所内でも何回も受けている者がいた。

ある時私の仕事机の近くに、日頃からよく一緒に仕事をしている若い衆が、私を冷やかしに4~5人集まってきた。

「糸乘さん技術士受けるんですか」

「うん、受けてみる」

「糸乘さんは絶対に通らない。受けてもムダですよ」

「そうだ、そうだ、そうだ」「絶対通らない、通らない」とみんなが声をそろえた。

「えらい厳しいことを言うなあ。それにしても“絶対”とは何だ絶対とは。オマエラもちょっと言いすぎだぞ」

「いや、言い過ぎじゃない、二つの根拠がある」

「えらいはっきり言うなあ。すまんが教えてくれ」

「一つはね、まず“糸乘さんの字は読めない”ことですよ。もう一つはね、“糸乘さんはね、試験というモノの本質”を知らないからですよ」

「ひとつは分かった。字を丁寧に書くことにする。ところでその試験の本質って何だ。教えてくれ」字が読めないという件に関しては、全く脱帽であったが、もう一つは納得できないので、聞いた。

「それはね、試験を出した側を満足させる回答を書くことなんですよ。ところがあなたは、自分の考えを書くじゃないですか。それで通るはずがない」

「そうだ、そうだ、いつも自分の思っていることを書いて、人のいうとおりにはなかなかせん」と囃す。

「なるほど、試験の本質ということはよく分かった。だけど今更受験勉強をして、問題や解答を考えても、ボクはそれに弱いから無理だ。今までの糸乘スタイルで行く。どうもありがとう」

「絶対にムダですよ」と、なおダメを押した。

試験では、読める字を書かねばならないので、時間がギリギリだった。この技術士試験のいいところは、「あなたはどんな技術を持っているのですか」というテーマが、最大の比重を持っていることである。

私は、都市再開発事業を進める中での、地権者の権利調整の枠組み、意識の整理の仕方などの作業手順や整理作業について、自分のやってきたことを書いた。私としてはマネジメント技術、コーディネート技術というつもりであった。

筆記試験は通ったと言うことで、面接の日時の連絡があった。「通ったみたいだよ」と悪ガキ連中に言うと、「おかしいなあ、試験官がまちがえたんですよ」といった。また、同僚が「糸乘さんでも通る国家試験がある、ということはいいことだなあ」といって喜んでくれた(ひょっとすると馬鹿にしているようでもあるが)。

口頭試問に行ったら、三人の人が座っていて、その一人が「えらいソフトな技術をやっておられるんですね」といった。私は「再開発をすすめる時に、いろいろ悩みましてね」といいながら少し説明をした。平成元年(1989)のことである。

この資格は、一級建築士よりランクが高いように言われているけど、それほど商売に役立つものではない。建設コンサルタントの事務所をやる時にいるらしいが。しかし一応名刺に書けるので重宝した。九州で仕事をする時、役所に名刺を持っていったら、「技術士なんですか。糸乘さんは経済学部ですよね」といわれた。「文系でも受けていいことになって2年目だったんですよ。うっかり通ったのかな」と私はいっていた。後で聞いたところでは、県庁内に技術士(化学系?)は、一人しかいなかったらしい。

「糸乘さんは絶対通らない。試験というモノの本質を知らない」といってくれた若い衆は、私のことをよく理解してくれていた。うれしい想い出である。