3、巨大古墳を空から見る会顛末記 

■セスナは春風に乗って

「やみつきになりそうやなあ…」これは巨大古墳をみたことだけではなく、セスナに乗ってみた臨場感に満足した人の言。「こわいことないですか。落ちそうなことないですか。」…これは2巡目のセスナに乗る人の言。 30人全員が乗り終るには、1機に1度に乗れるのが3人(操縦士も入れて4人)であるから、4機のセスナで2巡半かかった。とにかく雲一つない好転にめぐまれて、全員満足そうな顔つきで終わった。

この変なイベントのきっかけは、4~5年前にさかのぼる。「一度あの世界的な巨大古墳を空から見てみたい」と思い、八尾空港に行って航空会社に聞いてみた。意外に簡単に乗って見ることができるとわかった。また、「空から見た古墳」(別冊歴史と旅、秋田書店刊)というすばらしい本が出ていて、羽曳野市古市の本屋で買って見たりして、いよいよ空から見たいという気が強くなった。しかし、なかなか実現することはできなかった。

 

■河内イメージアップ作戦の企画

今年に入って、大阪府庁の人から「河内のイメージアップをはかるような企画を考えてみないか」という話があった。モノをつくる話ならともかく、地域イメージを変えていこうというような取組は、民間的な発想で、住民自身が活動するようなことを考えねばいかんのではないかということになった。

たしかに河内のイメージは悪い。全国区レベルというより、世界的なといってもよいような史跡・遺跡がウヨウヨしているのに、なんとなく「ガラが悪い」というようなことで、イメージダウンになっている。これを変えなければならない。

「河内飛鳥の方が大和飛鳥より古いし、規模も大きいじゃないですか。もっと売ればいいじゃないですか」といったら、「大和は史跡だが、こっちは遺跡だから話になりにくいですからなあ…」という人もいたが、今は遺跡がドンドン史跡に近づいて来る時代になっている。人も地域も個性が尊重され、心の豊かさが求められる時代になって、これほど個性豊かな土地柄はない。言葉の悪いのも個性のひとつだというぐらいに、居直って考えたらどうだろうかとも思う。

ここまで考えてくると、「まず初年度は基本方針・構想と考えて、来年は実施計画をつくって、3年目から実行に移そう」などという“かったるい”(これは広辞苑にのっています)ことでなく、計画づくりの中で一部が実行されていくぐらいのことがあってもいいのではないかということになった。いよいよエスカレートしてくると、計画の年までに、「何かひとつやってみることはないか」ということから登場したのが「巨大古墳を空からみる」ということであった。

■とにかく飛んでみよう

募集要項のような内容が決まったのは2月末頃、そのときは参加者数がどれだけになるか見当もつかず、世話係の三人だけでも乗ってみようということで航空会社へ申し込んだ。「ちょっと古墳を空から見たいんですけど飛んでもらえますか」「1時間2万円です。ちゃんと申し込んでおいてもらわんと…」「そんな高いの困る。1時間もいらん。20分で結構です。一応3月21日午後1時ということでたのみます」というような段取りであった。急のことでもあり、別に宣伝するわけでもないので、全部で5~6人ぐらいのつもりでいた。

4~5日すると、クチコミで伝わったために参加申込みが10人ぐらいになったので「10人超すかもしれませんので、1回20分でいいですけど、4回ぐらい飛んでもらわんといかんのですが、できるでしょうか」という申し込みをしたら、「おたくの事務所はどこにあるのでしょうか」というよう

な見当ちがいのような質問が返ってきた。

今から考えると「ちょっと古墳を空から見たいんですが」というようなことで、本気でフライトの申し込みをしているのかどうか、疑われていたような感じもあった。航空会社の人が、私どもの事務所に偵察に来られたときには申込みは25人ぐらいになっていた。そのことを伝えると、航空会社の営業の人はもう信用を通り越してびっくりし手しまった。つまり「こんな営業があるもんですかなぁ…」ということである。「セスナって危ないという人もいるが、落ちないでしょうな」ときいたら「絶対落ちません」と強調した。

「えっ、空に浮いてるものが絶対落ちないとはどういうことですか。そんなウソいうなら止めときます」「いやいや、落ちないことはないですが……」「お宅のセスナは、問題が起きたとき落ちる場所あるのですか」「いや実は、池とか田とか場所は決めて、考えているんです」「ということは、落ちても無事に落ちられるということですか。それなら安心やなあ。やっぱりお願いしようか」

■もっと積極的に新商品開発を

これは正に「観光の新商品開発」であって、われわれは、はからずもその開発をしたことになる。考えてみると、応神陵とか仁徳陵を空から見るということは、世界的な遺跡が眼の当たりに見られるということであるから、いくらか関心がある人なら、東京からでも九州からでも、わざわざ来て見る気になるだろう。

河内、特に南河内というところは、よくよく観光客などを寄せつけないようにできているらしい。たとえば、地元で聞いた話であるが、奈良へ来た修学旅行生が、こちらへもう1泊などということはもちろん不可能で、宿は奈良や大阪であっても観光バスで見て廻ることさえもむずかしいらしい。それは大勢の団体客が昼食をとるようなドライブインがないからだということだ。

だからといって、この第一級の歴史遺産が消えるわけではないので、見たい人は無理をしてもやってくる。奈良へ来た修学旅行の先生や高校生が、奈良のコースをやめて、何人かのグループ(もちろん一人もある)で河内飛鳥をたずねてくることがあるようだ。おそらく他都市だったら放っておかないような遺産があり、交通条件も、風景も申し分がない。ところが、河内の人から見ると、それは毎日見慣れているもので、珍しくも何ともない。観光対象というものは「他所の人に発見されて」はじめて価値の認識が始まるものらしい。地域のイメージチェンジのもとがまず発見されるようにすることからはじめなければならない。

■南河内全体を見る

古墳を見るセスナでのフライトは、八尾空港から大阪湾方面へ向い、仁徳陵の上で一旋回し、ついで富田林市の上空からPLの塔などを見ながら南下し河内長野市の方へ行った。それから石川沿いに北上し、羽曳野市の応神陵の上で旋回し、柏原市のブドウ畑のビニールハウスを見ながら空港に帰った。

好天にめぐまれたこともあって、こわかったという話もなく、無事に終わった。念のためにいうと、セスナという飛行機は、高度の8倍の滑空距離がもてる機種で、翼がとれるということでもなければ危険なことはないといわれていた。

全員が飛び終わったあと、応神陵を御神体とする誉田八幡さんに参った。そこで八幡宮に伝わる国宝を見せてもらったり、八幡様の謂われを聞いたりした。なかなかいい半日コースの学習というか、遊びというか…であった。空から見たときの感想については書かなかったが、一度自分で空から見ていただきたいと思う。(1986年)(アルパック・ニュースレター 1986.5)