4、「糸乘さんは、勝手にやっているんですね」と彼女は言った

彼女が「よかネット」に就職したのは1996年のことだ。この年は熊本の方から二人の美女がやってきた。二人ともよく仕事ができる方で、有望だと思っていた。だから、この話は97年頃のことだろう。朝出勤して机に座った途端、「イトノリサン!」と部屋中に聞こえるぐらいの声をかけながら、えらい勢いで美女が近づいてきた。私の前に立つと「イトノリサンハ、カッテニヤッテイルンデスネ」と少し詰問調で言った。

ちょっとビックリはしたが、すぐに察しはついた。彼女は、イトノリの仕事の仕方は、学校で教えられたような純粋な研究方法ではなく、自分勝手な仮説を前提にしていることに気付いたのである。私にしてみれば、あれこれ言わずに、仕事の中で彼女が「仮説」を持って仕事をするということに気付いたことが嬉しい。

以下は書評の中でそのことを書いているので、エッセイとして採録した。

「梅棹忠夫語る・あきらめたらあかんのです!」聞き手小山修三日経プレミアシリーズ・850円

“梅棹さんも亡くなったなあ”というブログを書いたのが、7月26日であった。この方とは、公の付き合いはほとんどなかったのだが、「長江下流域総合考察団(831127-1211)」の旅で、ご一緒させてもらった。旅の間中、梅棹さんの「寝酒セミナー」が続いた。夕食の終わる頃、「今日の寝酒ゼミには誰が来てくれはりますか」という梅棹さんの声がかかり、話題は多岐にわたり、何時も話が尽きなかった。この本を読んでいると、その時の雰囲気が思い出されて懐かしい。その後も何回かお会いしたが、祇園で飲む時だとか、千里の「みんぱく」に焼酎を持って行った時だとかで、何時も酒が付いていた。

私は、梅棹さんの著作の中で、最も気に入っているのは、「文明の生態史観」、「情報産業論」、「研究経営論」であるが、この本の座談で話しているところによると、梅棹さんもそう思っているようなので、気をよくした。

もし一本に絞るとしたら、私は「情報産業論」(中公叢書「情報の文明学」所収)を推す。トフラーが「第三の波」を書いたのが1980年であるが(「未来の衝撃」は1970年)、梅棹が情報産業論を書いたのは1963~4年である。日本では外国人の書いたものをありがたがるが、梅棹の方が遙かに早いし、産業構造論として書かれている。勿論私は、総合的なまとまりはトフラーの方がいいので、「第三の波」のファンでもある。

一応、本の内容を紹介しておきたい。

オチコボレとしてうれしいのは、「生きることは挫折の連続である」等という章があることだ。「そうだ、そうだ」と私は思う。チャレンジしたり、リスクを冒したりしないと、挫折はしない。“挫折はチャレンジャーの勲章”だ。私は「サツマイモを洗って、海水を付けた方が旨い」と、チャレンジしたサルのような動物のDNAをひいている。

そして梅棹は、思いつきを重視する。「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということや」それを、「梅棹の言っていることは、単なる思いつきにすぎないとは何事か。悔しかったら思いついてみい」

第1章は「君、それ自分で確かめたか?」である。この「よかネット」も、所員が見たか、取材したか、確かめたか、考えついたことか、しか載せないようにしようという編集方針でやってきた。それは今も守られているに違いないと思う。

「空想こそ学問の原点」という章もある。それは「想像力というかイマジネーションや」といっている。

ここを読んでいて思い出したことがある。15年ぐらい前のことだが、かわいいベッピンサンが入ってきていて、半年か1年ぐらいたった頃、私の手伝いをしていてくれた。Kちゃんである。当然ながら、私は「このデータを整理し、こう並べてまとめろ」と指示していたに違いない。突然彼女が「イトノリサン」と少し大きい声で私の方へやってきた。そして「ワカッタ。糸乘さんは勝手にやっているんですね」といった。彼女は、糸乘が予定の仮説(結論)を持って纏めようとしていることに気づいたのである。

この時、彼女は文部省から飛び出したのだ。日本の学校教育は、仮説の、予断の大切さを教えない。与えられたことを受け入れるだけの教育をしている。受け入れさせるのは「手なずける、飼育する」ことであって、「自立を促すこと、教育すること」ではない。

私は非常にうれしくなって、「そうだ。勝手に予断を持つんだ。それがないとどんな資料を集めていいか分からんし、どんな結論が出るのか、何時分かるのかという見通しも持てんやろ」といった。

京都でアルパックがスタートしたころ、1970年頃のことだ。手回し式計算機の時代だったかと思う。仕事の章分けをして、分担し、それぞれが取り組んでいた。Sクンも非常に真面目で努力家なので、段ボール箱いっぱいの表や図を作っていた。私は「どんなことが分かった?何がいえるかね」と尋ねた。「イヤまだ分かりません」「何時どの程度のことが分かるんですか」「イヤまだ、まとまっていないので分かりません。一生懸命、徹夜で資料を作っているんですが」。

結局、仮説なしに、何か資料をさわっていると、最も正しい、純粋な回答が出てくると思っているようだ。資料らしきものがどんどん増えるが、目標や仮説を持っていないので何も出てこなかった。

彼女の話に戻る。その後彼女は、「仮説」の相談に来るようになった。それについても、「自分の思ったことを前提にやってみたらいいよ」といって、勝手にするようにいったと思う。こんなことを書いていると土方文一郎の本(「管理者の問題形成」)を思い出した。またいずれ紹介する。(2011.1、よかネット101号)