7 社会にでたら、カンニングができないヤツは役に立たない

大学で話をするとき、最初の一限目でカンニングの話をすることにしている。「学生はカンニングをしてはいけないが、社会に出たらカンニングが出来ない奴は役に立たない」というのが私の持論である。
ついでにもう一つ、講演などで話の終わりに「もし何か疑問があったらなんでも聞いてください。かなりレベルの高い内容の返事ができると思います。私は何も知らないが、友人のネットワークがあるので、“知ってる人(友人など)”を知っていますから」ということにしている。こんな話をしていてあるとき、「どれぐらいの名簿があるのか」と聞く人がいたので、「少なくとも、一応数千人はある」と答えたら、「どうして集めたんだ」と聞かれた。当然、「お会いした人の名刺の名簿ですよ」と答えたらとたんに興味を失ってしまった。“知らないことを、電話一本で教えてくれるような友人の名簿”などというものは、コピーした名簿で対応できるものではない。
見出しに断定的なことを書いたが、もちろん能力のある人は一人で仕事が出来るのである。カンニングが必要なのは、能力のない人間のことである。というわけで、私はせっせと“カンニング袋”を増やすために、ネットワークづくりに励んできた。
カンニング袋というものは、結構貸し借りが利く。が、この貸し借りの仕方でカンニング袋がドンドン豊かになったり、破れて元も子もなくなったりする。この仕組みは又聞きの反対の「又教え」ということになろう。一番肝心なことは、知ったかぶりをしないことである。つい自分が知っていたように言って威張りたくなるかも知れないが、それをやるとどこかで襤褸がでるもので、追加のクエッションが来たら対応できなくなる。
第二番は、ニュースソースの問題である。これをはっきりしなければ意味がない場合もあるが、はっきり出来ない場合もある。その時は「私が信用している人から聞いた」と答えるだけにしなければならない。もしそれを押してソースを聞きたがる人がいたら「信じんとも捨てんとも、どうぞ御随意に」(※)とうち切るべきである。こういうときに、きっちりとした態度をとると、信頼感が上がり、ネットワークも一層広がるるように思う。
三番目というよりは、全体のことでもあるが、主観的な態度を明らかにすることが信頼の前提になる。主観的態度というのは、もともと知らなかったのなら、「人に聞いたことだが、私は信じている」というように、自分の主観的態度を正面に据えて返事をするのがよい。何となく、本人が信じているのかいないのか分からないような返事をもらっても、逆に困ってしまう。主観的ということは、分からないときは「分からない」とはっきり言うことでもある。どうもこのあたりは新聞記者や研究者のモラルと同じようなものかもしれない。
私は今まで、何度も何度も、知ったかぶりをしたために恥ずかしい思いを重ねてきた。こんな人間が喋るべき話ではないかも知れないが、恥ずかしい思いよりずっとずっと沢山の恩恵を、ネットワークによってもたらされてきた。この商売が続けられたのもその力のおかげだと思っている。実際に、数千の人脈が日常的に使えるわけではない。とにかく30人ぐらいの基礎ネットと300人ぐらいのネットワークがあれば、かなりの仕事がやりやすくなる。
この商売に入ったとき、全くの素人だったので、基礎的な用語さえ分からなかった。それを補うために、まず、少しでも人の情報収集の役に立つように心がけた。一寸気になるデータやニュースがあると、興味を持ちそうな人にFAXなどで届けたりした。さらにネットワークを作るために“仲間の集まり”を呼びかけて、その世話係をさせてもらうようにした。世話係をやると面倒で大変なので、ちょいちょい気にいったテーマの時のみ参加して、要領よく情報を仕入れる人がいる。確かに賢いやり方であるが、賢くない(大阪弁でいうとどんくさい)人間はやらない方がいい。実際のところ、効率よく「文字・言葉のデータ」は仕入れることはできるかも知れないが、情報(情けを通した報いあい)の関係は出来にくい。世話係が一番儲けるのである。
仲間の集まりの世話をしているとき、参加させて欲しいと言われたら断らないことにしていた。友人からよく叱られた。「あれは名刺集めに来て、会社に出してDMの名簿にするだけでっせ。入れんでもいいのに」といわれたが、「それなら1~2回で来んようになるし、まあええやないの」などと言っていた。そしてその通りになった。               050207  糸乘 貞喜
※「信心とも捨てんとも、面々のおんはからいなりと云々」という言葉は親鸞の歎異抄の中に出てくる有名な言葉。親鸞が弟子から、念仏唱えたらなぜ浄土に行けるのかと詰め寄られたとき、「そのゆえ(理由)は、よきひと(法然上人)のおおせをかふりてしんずるほかべつのしさいなきなり」と答え、さらに上の言葉につづいている。