8  “友”の定義は何ですか。「朋友相信じ」? 一方的な関係?

“とも”という言葉を辞書で見ると「そんな分かり切った言葉を見るな」とばかりに、「友、朋友、友人」などと書かれている。当たり前のような言葉でも、状況描写を入れて面白く書いている「新明解」でも同じだ。つまり「みんな共通の理解をしている」ということらしい。
思い返してみると、私のような太平洋戦争敗戦の時、国民学校三年生であった人間には、友という言葉ですぐ連想するのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己ヲ持シ」という教育勅語である。これは「お互いが信頼しあって」という意味である。
メル友という関係がある。一日に何回もメールを交換しあって信頼関係を築いている若い人たちが多いと聞く。「友=お互い」ということであれば、それほど何度も交換しなくても良さそうなものだが。状況から考えると、「友=お互い」というのは建て前だけの話ではないのか。
ところで私のことであるが、高校二年までは「友=お互い」を固く信じていたし、世の中はすべてそうだと信じていた。そういう状況を裏切った私のことを書こうと思う。
高校一年の国語の教科書に、木下杢太郎の詩がのっていた。
むかしの仲間
むかしの仲間も遠く去れば
また日ごろ顔あはせねば
知らぬ昔と変りなきはかなさよ
春になれば草の雨
三月櫻
四月すかんぽの花のくれなゐ
また五月には杜若
花とりどり人ちりぢりの眺め
窓の外の入り日雲
そのときの同じクラスに、K君がいた。彼は私たちより一つ年上で、写真館に勤めながら高校に来ていた。働くと言うことは、その年頃では恥ずかしいことと思っていたし、もちろん、貧乏は恥ずかしいことであった。隠すというわけではないが、私にはその事情を話してくれていた。お互いに貧しい農山村の出身だということもあった。
一年の三学期に、彼が私の下宿に来てゆっくり話したことがあった(私の里は冬季は雪が深くて通学不能なので下宿していた)。そのとき仲間内の写真を出してみていたら、その写真をコピーして、仲間のみんなに渡るようにするから貸さないかといって、私のもっていた高校一年時の写真を持って行った。当時写真の複製などということが出来るのかと思い、お金のことも心配だったが、写真館にいるから出来るというので渡した。二年になって、クラスも変わってK君に会わなくなっていた。彼は高校をやめたらしいという噂を聞いた。「写真が帰ってこなくて残念だ」とは思ったが、何となく忘れていた。
その年の秋11月初めごろだったか、少し厚めの封筒の手紙が来た。Kからだった。
あけてみると「写真の複製が出来なくて悪かった」ということなどを書いた手紙と、以前に渡した写真、さらに上記の詩があった。胸騒ぎのする手紙だった。翌日、一年時の担任の教師に手紙を見せて相談したが、すでに、その日の朝刊の地方版の4~5行のベタ記事に、Kが熱海のトンネルのところで投身自殺をしたという記事が載っていた。
12月下旬、一年時の教師も含めて3~4人で彼の里の墓に参った。みぞれが降る寒い日だった。
「友人という言葉の意味は、一方的な関係のことだ」ということが身にしみた。Kは私のことを“友人”として、遺書のような手紙をくれたのである。ところが、私の方は忘れていた。胸が前から、後ろから締め付けられるような気がした記憶がある。
この時以降、自分が「彼とは、彼女とは親しい」と思えば「友人」なのだと思う。自分が思えば相手を信頼していいのだ。それが通じないのは相手が悪いのだ。あるいは、“友人だ”と思うことが勘違いかもしれないが、何も恥ずかしいことではない。相手から真に友人だと思われているのに、それを忘れるような奴は、私のようににぶい野郎なんだ。
それ以来、「お互い」ということをあまり気にしないようになった。“心の問題についてバランスさせる”なんて分かるはずがない。近くにおられる方には迷惑かもしれないが、今でも私は身勝手な“一方的な友人”を一杯つくっている。
実は、大学の友人との関係でもう一度ある。
このときも厚めの封筒が来たが、その日は出張で家にいなかったので、その手紙を見るのは後になった。
出張先へ共通の友人から、「心当たりを探してくれ」という連絡があったが、少し電話をするぐらいで手の回しようも考えられなかった。大学を出てから20年間もつき合ってきているので、忘れているようなことはなかったが、仕事が忙しい立場になっていて、落ち着いて話をするようなことがなくなっていた。手紙は意味不明ながら、私に何かを伝えたいといっているような気力のないものだった。
結局、最後のところでは、彼からの一方的な友人関係になっていたのかもしれない。
人間関係で“お互い”ということはあり得ないのだと思う。相手の立場に立つことは出来ないと思う。できるとしても、日頃から近辺の人間の存在状況についての“想像力”を訓練しておいて、相手の“思い”を尊重するぐらいかと思う。
もちろん仕事の場合も同じだ。というより、仕事をするときの態度として、そう心がけている。知的サービス業という商売は、この“想像力”が勝負だと思う。「思いこみの激しい糸乘さん」といわれて面食らったことがあるが、「思いやり」は思いこみ抜きにはあり得ない。   061127